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くろべきょうこく

黒部峡谷

木暮 理太郎

「東京朝日」1919(大正8)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,752 字 · 26 页

青空文庫

唯其人が猟師であったか盗伐に入り込んだ者であったか、或は山廻り役の一行であったかが知れないのである。

然るに明治三十五年に大阪大林区署は黒部林道の開鑿に着手して、同三十七年に竣工した。当時内山村から桃原の釣橋(黒部橋)に至る一里の間は、幅が九尺で車を通じ、桃原から鐘釣迄四里の間は幅六尺、鐘釣から祖母谷林道の終点まで約半里の間は幅三尺であったということである。此林道を開いたのは黒部峡谷から木材を伐り出す為であったが、収支償わないので事業を中止し、爾来既成の林道も修繕を加えないので、今は大に荒廃して其の面影を失ってしまったけれども、山道としては上等の部に属するものと称してよい。

この林道のお蔭で祖母谷より下流は、沿岸の通行が楽になったが、それより上流は欅平で林道も尽きているので、盗伐者又は猟師などの外は絶えて通る人もなかった。近年水力電気熱の勃興に連れて、二、三の会社は早くも黒部川の探検調査に着手した。古河合名会社では劒沢の合流点附近に達する為に大正八年の夏、餓鬼の田圃から目的地まで切明を作って水量の測定に従事した。此道は極めて迂回路で且つ千五、六百米の高所を通るものであった。