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ひのとびら

火の扉

岸田 国士

線上閱讀岸田 国士《火の扉(ひのとびら)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 129,467 字 · 257 頁

青空文庫

わたしは行くところがないんです……。どうなつても、わたしはかまいません……。でも……でも……こわいんです……。えゝ、こわいんですわ、なにもかも……。落ちるところへ落ちてゆくのはなんでもありません……ひと思いにそれができれば……。なまじつか、ちいさな望みが、眼の前にちらつくのがいけないんです……。奥さま、教えてください。どうしたらいゝんでしよう? 希望なんて、まつたくなくなすには、どうしたらいゝんでしよう……?」

井出康子は、このせつない訴えを、わがことのように胸にうけて、つい涙ぐみ、それで声だけははげますように言つた――

「しつかりなさいよ。いまが大事なところよ。あたし、できるだけお力になるわ。そんなら、どんなわけがあるにしても、あなた、この家にいたくないの?」

と、それにかぶせるように、大きくうなずいてみせて、

「えゝ、いたくないんです……。奥さま、お願いですから、どこかへ今すぐに連れて行つて……」

江原が同意するも同意せぬもなかつた。

井出康子は、ふろしき包みひとつ抱えた北原ミユキをともなつて、このアトリエを辞したのであるが、しばらく歩いてうしろをふりかえると、アトリエの入口に、江原が見送つたまゝのかたちで立ち、そこへあがる石段の下に、尾関昇がいつの間にか姿をあらわしていた。