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げんだいてつがくこうわ

現代哲学講話

戸坂 潤

線上閱讀戸坂 潤《現代哲学講話(げんだいてつがくこうわ)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 268,337 字 · 522 頁

青空文庫

、気分にすぎないのである。

哲学的理論は客観的でなければならないということは誰でも知っているが、この言葉自身は都合によってはどうでも解釈が出来る。例えば相対立する二つの立場に対して、そのどれにも党派的に加担しないということが客観的なことだという考えがよくあるが、もしそうだとすれば、実はそういう第三の第三者の立場自身にも加担しないことこそ客観的な筈だ。二つの対立する立場の銘々の云い分には大抵夫々相当の理由があるのが常で、単純に一方に無条件に加担することは常道ではないが、そうかと云って、二つの他に、いつでも中立の立場が必ずあるものだと決めてかかったり、又いつでも二つの立場の所謂「長を取り短を捨てる」ことが出来るものだと思ったりすることは、哲学的理論の客観性が何物であるかを知らない輩の迷信である。

譬えて云えば、オリンピヤの闘技場で、観覧席にいて競技を見ているものは、丁度之を「客観」している人達になるわけだが、彼等自身は競技に参加していない処の人間に他ならない。ギリシア人は神前の競技を神と共に見ることを「理論」という言葉で云い表わしたが、もしこういう意味のことが理論の「客観性」