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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
線上閱讀山本 周五郎《樅ノ木は残った(もみノきはのこった)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 頁
この湯ノ原は人情の篤いところで、ふしぎに客が付き、すでに半年あまりいついている、と一玄は云った。
「もう一つまいれ」
甲斐は酌をしてやった。一玄は鄭重に受けて飲んだ。
「言葉のようすでは江戸のように思うが」と甲斐が云った。
「江戸でございます」と一玄は椀の蓋を持ったまま、静かに手を膝に置いて、「旅の座興に身の上話しをしたいが、聞いてもらえるだろうか」と訊いた。
甲斐は手酌で、舐めるように飲み、「聞かせてもらおう」と答えた。
「つまらない話しでございます、もし御退屈のようでしたら、遠慮なくやめろと仰しゃって下さいまし」と一玄は断わりを云った。
彼は残りの酒を一と口飲み、また静かに、その手を膝の上へおろして、やや暫く黙っていた。それから、唇で微笑し、さて、なにから申上げてよいやら、と口の中で呟き、やがて、俯向いたままで話しだした。
生いたちのことは略す、必要もないし興もない。聞いてもらいたいのは、三十歳になってからのことである、と一玄は云った。
「そのころはいちおう名も知られ、生活もできるようになっていました」
自分は大和絵の一派をまなんだのであるが、その派としては、かつてまなんだ師よりも、高く評価されるようになり、幕府の絵師にあげられようとさえした。