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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
線上閱讀山本 周五郎《樅ノ木は残った(もみノきはのこった)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。
N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 頁
自分は江戸を去って、旅から旅へと、ながれ歩くようになった。そうなってからも、自分は絵のことが忘れられず、頭のなかで、絶えず絵を描いてきた。
「いまでは自在に描けます」と一玄は微笑した、「空想だからたやすいとお思いかも知れませんが、そうではございません、頭のなかで描いても、やはり絵はむずかしく、ときには一つ絵に三、四十日かかることもございます」
空想で描きはじめてから、自分の頭のなかには、大小十五、六幅の絵が溜った。五、六日で完成したものもあり、三、四十日かかったものもある。水墨、着彩――人物や山水や花卉、とりどりであるが、それらは全部、いまでも眼の前に、細部まで、ありありと繰りひろげて見ることができる、と一玄は云った。
「本当に、一枚、一枚、はっきりと見ることができるのです、もちろん、人に見せることはできませんが」
そう云って彼は、くすくすと、忍び笑いをした。それは自嘲のようでもあり、狡猾な笑いのようでもあった。
甲斐は、一つまいれ、と云って、彼に酌をしてやり、彼は慇懃に受けて啜った。
「人に見せることはできませんけれども、そんなことはどちらでもよい」