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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

線上閱讀山本 周五郎《樅ノ木は残った(もみノきはのこった)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 112,073 字 · 223 頁

青空文庫

「そのままゆけやしないわ、あなた刀を忘れていてよ」

新八は反射的に腰へ左手をやった。両刀とも座敷へ置いたままである。彼は唇を噛んだ。戻ったらおしまいだ、戻ればもうおみやの手から逃がれることはできない、それは自分でよく知っていた。逃げるのはいまだ。

新八は走りだした。

「新さん、待って、新さん」

おみやの泣くような声が追って来た。

新八は梅林をぬけていった。花の咲いている枝があり、花の香がつよく匂った。梅林の端に竹の四目垣がまわしてある、新八はそれを跨ぎ越して、刈田のあいだの畦道へはいり、それを南へ歩いていった。

風のない、晴れた日であったが、刈田の溜り水は凍ったまま溶けず、霜でゆるんだ畦道は、うっかりすると滑った。

「やったぞ、おれは逃げたぞ」新八は歪んだ笑いをうかべた、「やろうと思えばやれるんだ、きさま男だぞ新八、みろ、きさまみごとに逃げられたじゃないか」

彼は土堤へあがった。

いっそこのまま出奔しようか、新八は歩きながら考えた。刀を差していないので、腰がなんとなく不安定に軽い。そうだ、おれはもう元服もしたことだ、土方人足になっても、自分ひとりぐらい食ってゆけるだろう。