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えどげいじゅつろん

江戸芸術論

永井 荷風

線上閱讀永井 荷風《江戸芸術論(えどげいじゅつろん)》,假名注音日語閱讀。JLPT N2,點詞查義。

N2 · 挑戰 · 新字新假名 · 85,130 字 · 167 頁

青空文庫

安永より天明末年あたかも白河楽翁公の幕政改革の当時に至るまでおよそ二十年間は蜀山人の戯作界に活動せし時にして狂歌の名またこの時において最も高かりき。寛政改元の年蜀山人四十に達しその父を失ふ。この年あたかも楽翁公の天下に令して奢侈の風を戒め洒落本の作者を懲罰するあり。この前年蜀山人既に狂歌の事よりして小普請入を命ぜらる。ここにおいて志を改め、聖堂の試験に応じて及第するや狂歌の名を後進の真顔六樹園にゆづりて幕吏(支配勘定)となり事務に鞅掌するの傍旧記を閲覧して『孝義録』の編纂をなせり。然れども文化初年長崎赴任の後駿河台に移り住みし頃より再び文壇に接近し『南畝帖千紫万紅』『南畝莠言』等の出板を見るに至れり。

文政六年蜀山人七十五歳を以て逝く。これより先安永天明の交蜀山人と相並びて才名を馳せたる平秩東作、朱楽菅江、唐衣橘洲、手柄岡持ら皆世を去り、狂歌の盛衰は浅草庵市人、鹿都部真顔、宿屋飯盛、奇々羅金鶏らの手に依托せられぬ。この道幸にして年と共にあまねく世人の喜び迎ふる処となりしが、その調はその普及と共に漸く卑俗となり、殊に天保以降に及んでは全く軽口地口の類と択ぶ処なきに至れり。