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なるとひちょう
鳴門秘帖(一)
吉川 英治
Read 鳴門秘帖(一) (なるとひちょう) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 262,100 characters · 523 screens
「知っております。それゆえ、すばやく次の間へ逃げ退いたのじゃ」
「日頃の口ほどにもない殿じゃ!」三位卿は歯がゆそうに、
「この奥深い所まで、入り込んでまいった不敵なやつ、逃がしては一大事でござる。この有村が引っ縛めてまいる所存」
「はははは」重喜は愉快そうに笑った。
「さようなことは家臣どもに任せてお置きなさるがよろしい。あなたの月山流ではちとむずかしい曲者、手配は天堂一角が常から残りなく固めているゆえ、おおかた、今にどこからかここへ捕えてまいるであろう」
築山の辺からお船蔵境の木立――または大殿の屋根から床下に至るまで、弦之丞を尋ねる武士が、今や、右往左往に入り乱れて見える。
下屋敷の騒音を後にして、弦之丞は今、脱兎のごとく船蔵の方へ走ってきた。
ほッと、息をついて、あたりの闇を透かしてみると、ここはいつかの晩、綱倉の窓からお米の啜り泣く声をきいた記憶のある掘割岸。
翌日は、安治川を出る筈の卍丸も、岸をかえたとみえてそこには影なく、ドボリ、ドボリ……と掘割へ揺れこむ波の音があるばかり、無月の秋はことさらに暗い。
「オオウーイ」
不意にすぐ近くの闇の中で、こう呼ぶ者の声が水へ響いて行ったので、弦之丞は陸へ引き揚げられてあった過書舟の底へ身を退いて、その陰から様子をうかがっていた。