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なるとひちょう
鳴門秘帖(一)
吉川 英治
Read 鳴門秘帖(一) (なるとひちょう) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 262,100 characters · 523 screens
鏡の裏
鏡の裏
いくら待っても出てこない筈。旅川周馬は荒屋敷の庭を素通りに裏門の戸をコッソリ開けて、どこともなく立ち去ってしまった。
家の中に待ちうけているお綱と、門の外に待ちぼけているお十夜とを捨てて、彼は、その夜も翌日も、とうとう、この荒屋敷へ帰ってこなかった。
お十夜が、それと知った時には、既に喧嘩相手の周馬がそこにいない時で、さすがの孫兵衛も、もう一度塀を躍り越えてみる勇気も失せ、また後日の策を描いて、その夜はむなしく引き揚げて行った。
がしかし、お綱はすッかり腰をすえて、その屋敷を当分の住居のように心得ている。
女だけに居催促も要領がよい。一間どころをこぎれいに掃除して、納戸の隅から見つけてきた置炬燵、赤い友禅の蒲団をかけてその中にうずくまり、側には持ち出した草双紙を、より取り勝手に見散らかしていた。
なるほど、居催促もこういう按配に行けば、三日はおろか一月が百日でも続くわけ。ただ不便なのは食事だが、これもいつか当座だけの用意を求めてきたらしく、呉須の急須に茶を入れて、栗饅頭まで添えたのが、読み本の側においてある。
緋友禅の炬燵蒲団に、草双紙と三味線に、玉露と栗饅頭。