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しんぺんちゅうしんぐら
新編忠臣蔵
吉川 英治
Read 新編忠臣蔵 (しんぺんちゅうしんぐら) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 337,181 characters · 676 screens
――然し、内蔵助には、うっすらと、先の峠は見えて来ている、ここまでが、難事といえば難事であった。もう、確信がある。――憂いといえば、敵よりは、内輪の者の心のうごきである。
更に、怖いのは、自分であった。――日々、確信は固まってゆくようであっても、ふと、その確信をゆるがしそうになる自分の虚が怖い。
心の虚には、無という思想が棲んでいた。それが、隙を見ると、頭を擡げ、
(ばかな!)
と自分の正面から嘲笑う。
(名が何だ。死後に何がある。一時の現象だ。現象は、時が運び、時が持ち去ってゆく。春が来、夏が来、秋が去り冬がくる。それだけの繰り返しでしかない。楽しまずして、何の人生)
と、囁く。
(子は母乳が出ないで泣いている。妻は、孤愁に痩せている。そういう犠牲をつくってまで、自分の本分を満足させる。それでよいか、父として、人間として)
更に又、
(娯しめ、娯しめ、今だけでなく、永くこの人生を。――二度とは生れ難い人間と生れて、勿体ないぞ)
大野九郎兵衛の行った道を、内蔵助だけは道理と、心のうちで時々うなずくのであった。ああ行く気持はよく分る。自分にもそれに似た性格がまったくないとは思わない。