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はたもとたいくつおとこ
旗本退屈男
佐々木 味津三
Read 旗本退屈男 (はたもとたいくつおとこ) by 佐々木 味津三 (ささきみつぞう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 240,656 characters · 478 screens
「もし! ……駕籠屋さん! 駕籠屋さん! 御兄様がどうかしたかも知れませぬ。ちょッと乗り物をお止め下さりませ」
「え?」
「呼んでも呼んでもお兄様の御返事がござりませぬ。どうぞなされたかも知れませぬゆえ、早う止めて、ちょっと御容子を見て下さりませ」
「殿様え! もし傷の御殿様え!」
少しうろたえて、ひょいと中をのぞくと、まことに、かくのごとく胆が坐っていたのでは敵うものがない。うつらうつらといいこころ持ちそうに夢の国でした。通う夢路は京か三河か日光か。それとも五十四郡の仙台か。久方ぶりに帰って来た大江戸の灯も、そろそろ始まりかけた退屈ゆえに、一向なつかしくもないもののごとく、軽いまどろみをつづけたままなのでした。
「ま! 子供のような寝顔を遊ばして、可愛いお顔! ――でも、つまらなそうでござりますな。どうしたら、わたくし達のようにうれしくなることでござりましょう。な! お兄様! お兄様!……」
呼んでみたとて恋もない独り者が恋のありすぎる二人者のように、そう造作なくうれしくなる筈はないのです。――そのまま駕籠は千住掃部宿を出払って、大橋を渡り切ってしまうと、小塚ッ原から新町、下谷通り新町とつづいて、左が浄願寺、右が石川日向、宗対馬守なぞのお下屋敷でした。