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はたもとたいくつおとこ
旗本退屈男
佐々木 味津三
Read 旗本退屈男 (はたもとたいくつおとこ) by 佐々木 味津三 (ささきみつぞう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 240,656 characters · 478 screens
「血を吸わしてやりとうなったな――」
だが、そのとき、殺気を和めるようにぽっかりと光芒爽けく昇天したものは、このわたりの水の深川本所屋敷町には情景ふさわしい、十六夜の春月でした。
「退屈男のわしにはつがもねえ月じゃ。では、まだ少し早いが、ひと廻り曲輪廻りをやって来るか」
のっそりと立ち上がって、今、血に巡り会わしてやりたいと言ったばかりの業物を、音もなくすいと腰にしたとき――、
「お兄様! お兄様!」
遂げても遂げても遂げ足りぬ恋をでも遂げに行ったらしかった妹菊路が、京弥と一緒に慌ただしくこちらへ駈け走って来たかと見えると、突然訴えるごとくに言うのでした。
「いぶかしいお方が血まみれとなりまして、あの塀外から屋敷うちへ飛び込んでござります。いかが取り計いましょうか」
「なに? 血まみれとな? お武家か町人か、風体はどんなじゃ」
「遊び人風のまだ若い方でござります」
言っている庭先へ、よろめきながら本人が姿を見せると、いかさま全身数カ所に何かの打撲傷らしい疵をうけて、血まみれ姿に喘ぎ喘ぎ退屈男の顔を見眺めていましたが、それあるゆえにある時は剣客をも縮み上がらす威嚇となり、それゆえにある時はまた、たわれ女に悩ましい欲情を唆り湧かしめるあの凄艶無比な三日月形の疵痕を、白く広い額に発見するや、やにわと言いました。