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なるとひちょう
鳴門秘帖(一)
吉川 英治
Read 鳴門秘帖(一) (なるとひちょう) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 262,100 characters · 523 screens
病人の多市も、それを聞いて、寝床の中からニッコリ笑った。銀五郎としても、思わぬ同志に巡り会って心強さを覚えたが、また心の一部では、
「こうした人さえ世間にはあるのに、あの弦之丞様は、お千絵様の生涯を、何とも思っていねえのかしら……」と、その冷酷な仕打を怨まずにはおられなかった。
今夜の宿は時雨堂ときめて、一八郎と万吉が、別な一間の床につくと、パラパラッと横なぐりに大粒の雨が吹ッこんできた。
それも時折にやんで、夜はだいぶ更けたらしいが、弦之丞はまだ帰らず、逢坂山の上あたりに、不気味な怪鳥の羽ばたきがする。
関の明神の頂は、無明の琵琶を抱いて、ここに世を避けていたという、蝉丸道士の秘曲を山風にしのばせて、老杉空をかくし、苔の花を踏む人もない幽寂につつまれている。
ちょうど、北関の裏崖へ、誰も知らぬ銀の小鳩が下りた頃。その、蝉丸のように痩せた老禰宜が、社家の一隅に、わびしい晩飯の膳をすえて、箸をとっていると、
「こりゃ、誰かおらぬか。ここの神主はおらぬか」
表口に、ぬッと立った自来也鞘の武家があった。
あわててそこへ出た神主が、蚊ばしらの立ち迷う中に立った侍をみると、面は眉深く熊谷笠につつみ、野袴に朱色を刻んだ自来也鞘、いっこう見かけた覚えもない者であった。