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なるとひちょう

鳴門秘帖(一)

吉川 英治

Read 鳴門秘帖(一) (なるとひちょう) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 262,100 characters · 523 screens

Aozora Bunko

いやでも応でも、天堂一角やあの駕が、目の前を通りかかる筈である。

弦之丞は、一口の清水に、湧き沸る血を抑えながら、ゆたりと、道しるべの側へ腰を下ろした。

「……もう急ぐことはあるまい」

彼は、ことさらに心を落ちつけるため、尺八を取って、眼を半眼に閉じ、ゆるやかに唇を湿していた。

禅定寺峠――、あの頂から少し下って、森々たる日蔭へ入ると、右は沢へなだれて、密生した楢の傾斜で、上にも、栃や松が生い茂っており、旅馴れた者にも気味悪い暗緑な木下闇――。時たまつんざく鳥のけたたましさは、斬られた女の声のようだ。

程もなく、シタシタと、地をうつ大勢の足音が、その勾配を湿っぽく流れてくる。

さきに峠の上の平地で、二挺の山駕を下ろしていた阿波侍の一群れである。

森啓之助と九鬼弥助は、俵一八郎を入れた山駕の側につき、その後からは、天堂一角が銀五郎の駕を守って、なんの予感もなさそうに、例の岐れ路まで進んできた。

と――不意に、どこかで、

「待てッ」

ピンと、耳をつんざいた声がした。

すぐ続けざまに同じ音声が、

「しばらく待て!」

こう、叫んだかと思うと、道しるべの石から、躍然と立ってきた法月弦之丞が、あわてる列をかきわけて、すばやく、一八郎の駕の棒鼻をドンと抑えてしまった。