Clásicos japoneses con furigana
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しんらん
親鸞
吉川 英治
Lee 親鸞 (しんらん) de 吉川 英治 (よしかわえいじ) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 566.138 caracteres · 1127 pantallas
二
稚子髪の時代の十八公麿が、いつまでも、慈円の瞼にはのこっていて、そのころの何も思わない艶やかな頬と今の範宴とを心のうちで思いくらべているのであった。
「おん身は今、焦心っている。火のように身を焦いて真理をさがしているのであろう。それはよいが、体をこわしてはなるまいが」と、慈円は愛し子を諭すようにいった。
二
師にお目にかかったら――と幾つもの疑問を宿題にして範宴は胸に蓄めていたが、あまりに、彼が憔悴しているさまを見たせいか、慈円僧正は、彼が、なにを問うても、
「まあ、養生をせい」というのみで、法問に対しては、答えてくれなかった。
実際、そのころの範宴は、食物すらいつも味を知らずに噛むせいか、すこしも胃に慾がなく、梅花を見れば、ただ白いと見、小禽の声を聴けば、ただ何か啼いていると知るだけであった。
それが、青蓮院へ辿りついて、師のやさしいことばにふれ、ふと安息を感じたせいか、二年余りのつかれが一時に出てきたように、病人のように、日ごとに頬の肉がこけ、眼はくぼんで、眸の光ばかりがつよくなってきた。
範宴自身が感じているより幾層倍も、慈円のほうが、案じているらしくみえた。