후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
社会と自然とは、この道徳の角度から取り上げられない限り、科学(社会科学乃至自然科学)の角度から見られる。之に反して之を道徳の角度から、自己一身上の立場から、見るのが文学なのである。科学は社会生活者としての自己の一身上の立場から事物を取り上げるのではない。なる程、科学的立脚点も亦、実は主体的なものであって、階級性や党派性を持つべきものであるが、併しこの場合の階級的観点や党派的観点なるものと、この階級性や党派性を自分の一身上の問題にまで直接結びつけるということとは、同じでない。そしてこの後者の方が道徳であり、この道徳を探究するものが文学なのである。科学は自然と社会とを探究する、文学は道徳=モラルを探究する。
処で大事なのは、社会や自然に就いての一身上の立場からする特別な角度以外に、特別に道徳という分野があるのではない、ということだ。道徳はそれ程、みずからの空しいものであり(道徳と関係の深い良心などを見よ)、従ってこの道徳の探究である限り(文芸的技法の問題や文学史の問題としてではない)、文学も亦みずからを空しくなしうるものだ。科学は不断の自己検討を必要とするが、併し科学自身に就いての懐疑は全く無意味だ。