후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
四
そこでは日常語と哲学的術語(実は翻訳術語だが)とが癒合していない結果、今だに俗語と階級的な学術語との対立が著しく残っている。日本の哲学は今だに大衆が用いている俗語を学術語としてこなすだけの階級的雅量がなく、哲学の叙述の多くは一種の官僚的な美文として取り残されている。無論之は今の処翻訳術語に依る外はないからのことだが、併しその対策として「やまと言葉」を持って来ることに較べれば、この生硬な翻訳述語で考えたり書いたりした方が、まだしも俗語的で日常的で大衆的だとさえ云えよう。哲学に較べて文学はこの点に限って、非常に進歩していると云わねばならぬ。作家程度に平俗な文章の書ける哲学者は日本では少ない。尤も哲学は術語を使うのだから、之を不用意に読めば難解なのは当然で、夫は哲学的言葉乃至文章の日常性や大衆性とは関係のない問題だということを、この際のために断わっておくが。
四
云うまでもなく言葉は概念を云い表わす。そして色々の概念を組織立てる上での網の結節点として位置する根本的な概念が範疇と呼ばれる。範疇の問題は哲学叙述に於ける言葉乃至文章にとって、最も根本的な意義を持っているのである。