후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
批評・評論乃至批判という概念が丁度二つを結びつける(「文芸批評」と「批判主義」とを並べて見よ)。科学と文芸とはその意味でイソモルフィックである。文芸に於て取り上げられた問題は、すぐ様実は社会科学の又哲学の、延いては又自然哲学の、問題であり、又問題となる(例えば大衆性の問題とか、科学的批評の問題とか、弁証法的創作――党派性の問題とか)。実際、二つの文化領域は全く社会的等価関係に立っているのであり、その根本概念・範疇を共軛的な契約の下に置いている。ただ文芸ではこの範疇体系が理論的概念の資格を取らないまでである。二つのものはコンジェニアルなのである。だからこの関係を無視すると、文芸は浪漫的空想や唯美主義的なものになって了うし、社会科学では文化闘争の実践というような問題は消えて了うだろうし、哲学はその使命である日常的・ジャーナリスティックなアッピールを失うことになるだろうし、自然科学は単なる通俗啓蒙科学になって了うだろう。文芸と科学とのコンジェニアリティーを実証して見せたことは、左翼文壇の評論的進歩の大きい功績の一つなのである。これによって、文芸と科学との内容的な精髄上の連帯関係を覚らないような、文芸や科学に対する文学青年式な迷信が、清算されたのであった。