후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
インテリ哲学の、俗物らしい神聖文学趣味に奉仕しているのである。――おお「文学への愛」よ! だが併し何とこの神聖哲学者達の、「哲学」に対する、「論理」に対する、愛の薄情であることか!
社会科学に於ける俗流と本物との区別は、世間で見分け方を知らない者のいない程常識化しているから、問題ではないだろう。処が卓越した本物の社会科学者さえが、自然科学になると、之を無条件に神聖視し勝ちに見えるのは、どういう気なのだろうか。今日の自然科学こそ、今日のブルジョア神聖科学の守本尊であって、ブルジョアジーは文学や哲学や社会科学の大学課程は全廃しても、この自然科学にだけはすがりつけるものと思っている底のものなのである。今日の自然科学は殆んどその大部分の場合が、神聖自然科学者の科学に他ならない。俗物的なものがこんなに大きな超俗物づらをしている例を吾々は他に知らないのである。
社会階級上の中立、政治からの自由、社会に於ける専門家的特権、等々の上に生活の安定を楽しんでいる家庭的な自然科学者や生産技術家は、現代に於ける最も俗物的な貴族意識の好模範と云っていいだろう。
同じ自然科学者乃至技術家専門家の内でも、医学乃至医術は特別な考察に値いする。