일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

ja-reading.com

후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.

しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

少なくとも諸文化が発達して充分に足が地面につくようになり、更に之に平行して、之を踏みこなし、之に注文をつけ、之を駆使する、だけの社会常識の原則が確立しなければ、批評というものは盛んにならない。今日批評が、単に文芸や芸術の領域に限られたものではなくなって、当然なことだが、哲学や自然科学、又社会諸問題の領域に渡って一応盛んになって来たという現象は、最近こうした好条件が初めてわが国を少なくとも一旦は訪れたことに由来しているのであって、マルクス主義の普及と常識化とは、何と云ってもその功労の殆んど大部分を担うものなのだ。マルクス主義によって、マルクス主義的批評は云うまでもなく、非マルクス主義的な又反マルクス主義的な批評さえが、わが国で盛んに行なわれるようになったのである。

尤も、批評は盛んになってもその批評に何等の権威もないのでは仕方がないのだが、所謂文芸批評などは寧ろその権威に乏しいと云うことこそ最近の情態ではないかと云うかも知れない。併しそれは文学作家などが云いたがる言葉に過ぎないのであって、一体作品の批評と云っても何も作家のために作家に向かって物を云っているものだと決める理由はどこにもないので、作品の批評というものは、作品の読者のために行なわれる方が余程本格なのである。