후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
で、もしそういうことに相場が決ってしまうならば、結局ディレッタントなるものは全くプラスの意味のないもので、あってもなくてもいいものに過ぎないことになる。だがそうばかりは行かない点があるのである。
一体人間は若いうちは、自分の能力について色々の可能性を空想し、またその可能性を発揮するものなのだが、年を取るに従って、その社会的なコースが段々決って来て、それが殆んど決りつくすところにはじめて一芸に長じたエキスパートになるのである。ディレッタンティズムはこの残された可能性を相当年を取ってから改めて探検し出すことを意味する。して見ればこれをただの趣味や娯楽や道楽や保養とだけ考えることは出来ない。
高級サラリーマンの謡いというような「趣味」はまだディレッタンティズムにまでも行っていない。これよりももう少し真剣なところがなくてはディレッタンティズムにはならぬ。ディレッタンティズムでも矢張り一種の生活の態度だったのだから。この態度は未成年のうちは、言葉通りアマチュア主義だが(アマチュアとは未熟のことだ)、年を相当取ってからのこの同じ青雲の志(?)は、ディレッタンティズムだともいうことが出来よう。