후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
だが要点は、この場合基礎的に具体的に物を云おうとすれば、是非とも記号と定式とを枢軸としなければならぬという点なのである。哲学では処がそうではなかった。
哲学がどんなに普通の意味での言葉や文章(人工的約束によって成立する記号や定式ではなく)に制約されているかが之で判るだろう。蓋し言葉や文章は人類社会が歴史的に約束した処のもので、決して勝手に人工的に決めたものではない。――処で哲学のこの特別な性質は、先に云った、哲学が統一的な世界観に基き又対応する、という性質から当然出てくる筈のものだったのである。なぜなら、そうした統一的世界観に基き又対応するというようなものを、もう少し手近かに探せば、文学が丁度そうしたものに他ならないということが気付かれるだろうが、文学乃至文芸こそは、その言葉が示している通り、普通の言葉と文章とを乗具とする芸術である。そこで哲学は、他の諸科学に較べて、著しく文芸的であり又文学的だと云っていいのである。尤も社会科学の領域で、数理経済学などという一つの主張は、従来の古典経済学乃至主としてマルクス主義経済学を、文学的であるとして、之に反して自分の方は数学的だと云って誇るのであるが、そうした経済学は、文学的でないが故に通用領域が甚だしく制限されているのを忘れてはならぬ。