후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
吾々の論議的訓練は、美文学的には相当凝っているが、文学的には可なり幼稚だと云わねばなるまい。之は外国の論客の文章に較べて見ればすぐ気のつく筈のことで、つまり之は、例えばヘーゲルやマルクスのような(二人はまるで別な種類の文学的興味の下で書いてはいるのだが)考え方が、吾々の手中のものになっていないということを示しているのだから、問題は重大なのである。
自然科学者の論文の方は、作文に流れるものがあまり多くはないと云ったが、併し自然科学者の論文は少数の例外として、之とは別な意味で却って非文学的なものが多いように見受けられる。達意な文学的表現能力と確固たる叙述内容とを結びつける技能に於ては、多分自然科学者は最も劣ったインテリゲンチャだろう。特に日本の自然科学者達はそうのように見受けられる。尤も例外として、例えば石原純博士や仁科芳雄博士やの論述体を忘れてはならぬが、自然科学の論文に於ては、譬喩やウィットはどうでもいいもので、却って邪魔になるとさえ考えられるかも知れないが、併しファンタジーのない処には何等の研究精神もないということも本当であって、例えば譬喩というような「文学的」