후리가나로 읽는 일본 고전
ja-reading.com
후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.
しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
なぜと云うに、この点を初めからハッキリ念を押しておかないと、世間にあり振れた出鱈目な常識論(常識的な或いは又非常識な)に、もう一つ出鱈目な議論をつけ足すことにしかならないだろうからだ。
処が、之だけ云ってすでに明らかな第一のことは、一般に文芸批評なるものが、必ずしも、「文学」の名を有った処の文壇の(乃至文壇的な)作家やその作品に関する批評だけには限らない、という点である。
無論、今日の日本の文壇が日本の「文学」の何より有力な而も不可欠な舞台であることは、如何に文壇に疎遠な人でも、或いは之を軽蔑している人でさえも、公平には認めざるを得ない処だ。がそれと共に、凡そ文学たるべきものが、この既成の、或いは既成のを少しばかり改良したような文壇に、あくまで焦点を合わせなければならぬ宿命を有っているものだとか、又そうあるべき筈のものだなどとは、どんな文壇愛好者も文壇崇拝者も考えないだろう。文壇は一つの社会的条件に過ぎないから、文学自身の焦点が之をはみ出し又は之からはずれるということは、その反対の場合と共に、極めて当然なことだ。
それから、作家やその作品や又夫等に就いての批評やの世界だけが文芸批評にとっての唯一の文学的現実でないことも、注目すべき点だろう。