후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
一体文芸批評を作品批評や作家批評に限定して考えるから、文芸批評が作家の作品・創作に対する副次的なものに限ると考えたくなるのだが、そう考えたのでは例えば文学作品としてのエッセイというものの創作性などは、まるで理解出来なくなりはしないか。エッセイなるものは、云うまでもなく批評(クリティシズム)の創作性を示して来ている言葉だ。イギリスの文芸批評家に云わせれば、文学とは人生の批評なのだ(M・アーノルドなど)。――今日の所謂随筆はまだエッセイにまで行っていない。だが之は一面、或いはエッセイ様式の台頭の先ぶれと見なされるのではないかと思う。恐らく、小説の持って回ったフィクションに対する新しい時代の不信が、この台頭の一原因だろう。
以上第一の点は、文芸批評たるべきものが、今日の所謂「文芸批評」よりも遙かに広く大きなそしてオリジナルなものであり得ることを、告げている。そしてもし今日所謂文芸批評が貧弱で無用であるようならば、それがもっと遙かに有力で本当に有益なものとなれるだけの条件が元来なくはない、ということを之は告げていることになる。――こうした見地から私は、現在果して誰々がこの所謂専門的な文芸批評家(総合的な?文芸批評家は云うまでもない)にさえ該当し得るかを、思うのである。