일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

そのやり方が唯物論であろうと観念論であろうと、そんな形而上学的な仮説はどうでもいいのだ。初めに物質があったか精神があったか、というような「理論」は一体何の役に立つのか、とそう詰問するのである。

私はそこでこう答えた。一体唯物論というのは、決して、吾々の実際生活の必要を離れた(それを彼は「形而上学」と呼んでいるらしい)一定のドグマのことではない。物質が精神よりも存在上先であったということが本当であるにしても、この主張を何か、形式的一般的に繰り返すことは、即ちそういうテーゼを固定物であるかのように説教することは、少しも唯物論的真理にはならない。唯物論の真理は、現実(それは世界とか現実とか生活とか等々と呼ばれて来ている)を、唯物論的に把握して行くことの内にこそ、初めてあるのだ。唯物論的方法によって現実を処理して行くことこそが唯物論なのである。唯物論とは、だから決して形而上学的説教による固定したテーゼやドグマの結合でないのはいうまでもなく、逆説的に云えば唯物論的世界観のことでさえないのだ。唯物論は方法なのだ。そう私は答えておいた。

併しこの場合、世界観と方法との関係をハッキリさせておくことが大事だと考える。