일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

意欲とを取り戻し得るような意識を私かに自覚し始めた、という事情である。もう一つは、このマルクス主義の退潮の原因とも相関物とも見られる所謂ファシズムの台頭(之又決して単純に片づけられ得ない意味を持った観念だがそれも保留せざるを得ない)という事実(?)が、折角自覚し得るようになったこの文学者達の自由な意欲を忽ちにして又圧迫し始めたが、それをこの文学者達がわが身の上に自覚せざるを得なくなった、という条件なのである。

私に云わせれば、マルクス主義の主流に圧倒されたというかの文学者達の主観的意識は、現象的な事実としては兎に角、本来の筋から云えば、結局彼等自身がマルクス主義に対する一種の認識不足から来た錯覚に由来するのであり、従ってここから来た自由の呼吸(それを彼等は自由主義という紛らわしい言葉で云い表わそうとする)も亦、つまり錯覚に他ならなかったのだが、この反マルクス主義的錯覚であった「自由主義」も、他方所謂ファシズムと直面させられる時、少なくとも主観的には、反ファシズムの意識としての自由主義におのずから変貌せざるを得なかった。――こうしたものが所謂行動主義=能動精神が有つという所謂自由主義の特性であって、普通簡単に、行動主義=能動精神がマルクシズムとファシズムとの中間に位置するなどと云われていることの内容なのだ