후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
このおしゃべりの魔法の笛が恰も彼の例の逆説で、彼の嘆美者はこの笛につられてしゃべり出したり、踊り出しさえしたりするのである。
私はパラドックスがいけないというのではない。小林自身が云っているように、柔軟な真実自身がパラドックシカルだとすれば評論家にはパラドックスは絶対的に必要なわけだ。問題はパラドックスの用途にあるのである。第一彼にとってはパラドックスは「眩暈」としてしか影像されない。世の中の馬鹿者共はこの眩暈でフラフラしている。そこで自分がこの眩暈を定着してやる。これが彼のパラドックスによる文芸批評の機能である。「人の心は問題の解決をいつも追っているのかも知れぬが、矛盾の解決によって問題を解決しようとは必ずしも希ってはいない。生活意欲というものは寧ろ問題を矛盾したまま会得しようと希っているし、事実日々実行している。この根強い希いが芸術を生み、これを諒解する。」
眩暈のこうした定着の仕方が彼のパラドックスの意味である。だがこうした問題「解決」にどれだけ芸術のシンセリティーというものがあるのか、私は信用出来ない。まして生活のシンセリティーをやである。