일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

併し少なくともこの関係が、科学そのものの側の自覚からは容易に導けないだろうという事実を見逃してはならないのである。というのは専門の科学者は、あまりこんな風には考えないというのが事実ではないかと思う。科学と文学、理論と道徳、の連絡に興味を有つものは、文学そのもの、道徳=モラルそのものの側からだ。と同時に又、所謂「文学」としての各種段階のブルジョア文学の専門家も亦、事実あまりこうしたことに興味を感じないらしく見える。

そこで、吾々の問題は、一方に於て道徳家(モラリスト)の問題であると同時に、他方に於ては批評家の問題である、ということになるだろう。実際フランスの多くの批評家、モンテーニュを始めとしてラ・ブリュイエールやサント・ブーヴに至るまで、いずれもモラリストと呼ばれることには意味があるだろう。但し歴史的制限を有ったこの所謂モラリスト達が、大抵一種の懐疑論者であったことは、今の場合と切り離して理解しなければならない。道徳や文学の自己自身に対する懐疑の能力と、判断断定の合理的党派性を欠くこととは、別なことだ。

科学を文学に媒介し文学を科学に媒介することが、文学の含蓄であり、理論を道徳に媒介し道徳を理論に媒介することが、道徳の含蓄である。