후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
である。ジャーナリズム・プロパーの発生は、ジャーナリズム自身の社会的分裂を意味するのであって、一体アカデミズムというものもその元来の本質は研究、教育、発表、其の他というジャーナリズム活動なのであるが、ジャーナリズムがジャーナリズム・プロパーに偏倚するに従って、アカデミズムが何か反ジャーナリスティックなものであるかのように、社会の表面に、ジャーナリズムの濁流に横たわる暗礁のようになって現われ始めるのである。
ジャーナリストという観念に就いても全く同様で、元来から云うと、一切の人間が、その人間的資格に於てジャーナリストでなくてはならぬ。人間が社会的動物だということは、この意味に於ては、人間がジャーナリスト的存在だということである。この点を最も適切に云い表わした者はギリシアの哲学者達であって、人間とはロゴス(言葉)を有った生物だと云ったのである。尤もギリシアの哲学者達にとっても、人間はただおしゃべりをする動物なのではない。何かの必要があって口を利くのである。唯物史観によれば人間は生産労働を望む必要上口を利き始める。ジャーナリズムの必要は云うまでもなく生産労働の内にあったのであるが。