후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
だから最初にいった私の取り決めに従えば、谷川徹三のディレッタンティズムなるものはむしろジャーナリズムと呼ばれるべきものだったのである。でつまりこういう風にディレッタンティズムの背後にはジャーナリズムへの道が控えていたのである。
ディレッタンティズムの弱点の方は弱点として、その積極的な点だけを押しつめて行くと、私はこれをジャーナリズムやジャーナリストという問題に帰着させることが出来ると思う。今日のジャーナリズムは寧ろディレッタンティズムに近いが(トリビアリズム・下手物好み等々)、二つが近いことに無理があると共に、二つが似て非なる所以も真理である。アマチュア主義はいわば子供のものである。ところがディレッタンティズムもジャーナリズムもいわば大人のものである。ただディレッタンティズムがジャーナリズムと異なる点は、ディレッタンティズムの方が、社会生活の安定へ希望をつなぎ得る社会階級層の生活意識の表現であるに反し、ジャーナリズムの方は、その近世的な本来の面目からいえば(現在はそうでないが)支配社会に対する対立意識の表現であった、という点なのである。
(一九三五・七)