후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
だがこのことは、云うまでもなく、この俗語を所有する階級が、神聖な僧侶語を尊重していた旧支配階級に、対抗し始め、打ち克ち始めたことを意味する。この近世ブルジョアジーの台頭によって従来の俗語が次第に文学的又学術的な資格を帯びて来たのであったが、哲学はそのラテン語によるスコラ階級的伝統を破るには十七世紀の初頭までかかる必要があった。デカルトは初めて意識的に、一種のロマン語であるフランス国語を用いて学術論文を書いた。ドイツではズット後れて、カントがその所謂批判期からドイツ国語で哲学を書いたのは、十八世紀の後半を過ぎてからである。イギリスでは無論ドイツよりもズット古く英語が学術語になっていた。
哲学叙述に於ける言葉乃至文章は、こうやってブルジョアジーの俗語を採用することによって今日に至っているが、俗語を採用することによって、哲学は初めてその日常的常識的な職能を果すことが出来る。カント哲学やヘーゲル哲学に於ける注意深く組織立てられた学術語としての術語は、全く甚だ尤もに無理なく精練された市民俗語=日常語であることを注意しなくてはならぬ。
だが丁度中世のゲルマン民族にラテン語が強いられたように、欧米語が学術語として強いられている日本の哲学界では、問題はもっと複雑である。