일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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だらくろん(ぞくだらくろん)

堕落論・日本文化私観 他二十二篇

坂口 安吾

坂口 安吾의 堕落論・日本文化私観 他二十二篇(だらくろん(ぞくだらくろん))을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 84,198자 · 171화면

아오조라 문고

自分の罪を考える、それが文学の中で本当の意味を持つのは、具体的な行為として倫理的に発展して表われるところにあるので、手をひっくり返して眺めて鬼気迫るなどとは、ボーンという千万無量の鐘の思いと同じこと、海苔をひっくり返して焼いて、味がどうだというような日本の幽霊の一匹にすぎないのである。

島崎藤村は誠実な作家だというけれども、実際は大いに不誠実な作家で、それは藤村自身と彼の文章(小説)との距離というものを見れば分る。藤村と小説とは距りがあって、彼の分りにくい文章というものはこの距離をごまかすための小手先の悪戦苦闘で魂の悪戦苦闘というものではない。

これと全く同じ意味の空虚な悪戦苦闘をしている人に横光利一があり、彼の文学的懊悩だの知性だのというものは、距離をごまかす苦悩であり、もしくは距離の空虚が描きだす幻影的自我の苦悩であって、彼には小説と重なり合った自我がなく、従って真実の自我の血肉のこもった苦悩がない。

このように、作家と作品に距離があるということは、その作家が処世的に如何ほど糞マジメで謹厳誠実であっても、根柢的に魂の不誠実を意味している。作家と作品との間に内容的には空白な夾雑物があって、その空白な夾雑物が思考し、作品をあやつり、あまつさえ作家自体、人間すらもあやつっているのだ。