후리가나로 읽는 일본 고전
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だらくろん(ぞくだらくろん)
堕落論・日本文化私観 他二十二篇
坂口 安吾의 堕落論・日本文化私観 他二十二篇(だらくろん(ぞくだらくろん))을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 84,198자 · 171화면
歴史には死人だけしか現われてこない、だから退ッ引きならぬギリギリの人間の相を示し、不動の美しさをあらわす、などとは大嘘だ。死人の行跡が退ッ引きならぬギリギリなら、生きた人間のしでかすことも退ッ引きならぬギリギリなのだ。もし又生きた人間のしでかすことが退ッ引きならぬギリギリでなければ、死人の足跡も退ッ引きならぬギリギリではなかったまでのこと、生死二者変りのあろう筈はない。
つまり教祖は独創家、創作家ではないのである。教祖は本質的に鑑定人だ。教祖がちかごろ骨董を愛すというのは無理がないので、すでに私がその碁に於いて看破した如く彼は天性の公式主義者であり、定石主義者であり、保守家であり、常識家であって、死人はともかく死んでおり、もう足をすべらして墜落することがないから安心だが、生きた奴とくると、何をしでかすか分らず、教祖の如く何をしでかす魂胆がなくとも、足をすべらしてプラットホームから落っこちる、どこに伏兵がひそんでいるか分らない。実にどうも生きるということはヤッカイだ。
だから教祖の流儀には型、つまり公式とか約束というものが必要で、死んだ奴とか歴史はもう足をすべらすことがないので型の中で料理ができるけれども、生きてる奴はいつ約束を破るか見当がつかないので、こういう奴は鑑賞に堪えん。