후리가나로 읽는 일본 고전
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あきかぜとはは
尾崎士郎短篇集
尾崎 士郎
尾崎 士郎의 尾崎士郎短篇集(あきかぜとはは)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 108,032자 · 216화면
政治家たるべく余りに純情
及び「進藤喜平太」を好む」といっているのは、中野の反政治家的稟質を的確に表現しつくしているというべきであろう。
昭和十八年、十月二十七日、中野が自決した日の机の上に『大西郷全伝』(中野泰雄氏の執筆されたものによると、著者は雑賀博愛となっているが、緒方竹虎氏の文章では、下中弥三郎となっている)が開いたまま載せてあったという。
緒方氏の説かれる修道者という意味は、一種の精神主義を暗示するものであろう。中野正剛は情熱の使徒ではあっても宗教的な信仰の所有者ではなかったようである。
政治家たるべく余りに純情
私は、彼について考えるごとに、若き一生を非業の死によって無残にも自ら滅ぼしていった米沢藩士、雲井竜雄を想起する。必ずしも特別な理由があるわけではない。情熱に殉じて桁をはずしながら、しかも、人間的には終始一貫して求道的な冷徹さを失わなかったところが共通しているのである。
雲井竜雄は陽明学によって思想の基盤を築きあげたが、中野は、陽明学の影響をうけても、その中に味到することは出来なかった。
此処に情熱と知性の矛盾と相剋が明瞭な形をもってあらわれてくる。情熱というものは、一つの系譜を持っているといえるかも知れぬ。