일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

に於て、例えば十八世紀十九世紀のフランス人とロシア人の比較といったような歴史的課題が約束されなくてはならぬというようなことは、批評家が発見することであって、作者が自覚することではない。芸術作品が、芸術教科書(?)などでおきかえられる心配は、恐らくないだろう。処が理論乃至科学が教科書の捏ね回しに終ることがどれ程多いかを、注意すべきだ。

理論乃至科学は均衡ある周到な分析にも拘らず、抽象し公式を作り又公式を用いたという過程が、成果そのものの内に露出している。で理論乃至科学は、他の理論乃至科学の成果のこうした露出面(公式其の他)を、その成果から抽出することが出来、又せねばならぬ。こうやって理論乃至科学の成果は、いつも解体されることによって、却って初めてその本来の使命を果すのだとさえ云っていい。だからそれは完了した「形象」を得ないわけである。

芸術はそうではない。なる程芸術でも、唯物論的であるためには、今云った分析や公式を経過しなければ芸術にならぬ。併し作品というその成果自身の上では、こうした分析や公式の製造・使用の過程自身は匿されていなくてはならぬ。そういう形でコナされていなければ、芸術作品は「形象化」