후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
生の哲学と云っても色々あるわけで、同じく主知主義の反対と云っても生物学的なものもあれば(ニーチェやベルグソン)歴史的なものもある(ジンメルやディルタイ)。何も無理にエゴティスティック(必ずしもエゴイスティックとは云うまい)な自己に世界の生を収斂させて、虚無や不安に身を横たえなくても、かの要求には間に合う筈なのである。
自由意志の問題も亦ここに顔を出している。実に整然と並んでいるものには悪戯がしてやりたくなり、絶壁の上から下を見ると飛び込みたくなることが心配になる。そうしたアービトラリネスこそ正に自由意志の真髄だが、同時に之程日常的な常識的なことはないのだ。そして之を計算に入れない思想はまず現実にはあるまい。あるとすれば彼等の機械論的な飛込台としての「思想」か「論理」かに過ぎまい。「魂」を科学的な機械論から護るには(そしてこの時この科学や機械論は唯物論!のユニフォームを着せられるのが常だ)、哲学的操作としてはまず自由意志を機械論から護ることにあるだろう。処が機械論を本当に克服したものは却って正に唯物論に他ならぬ唯物弁証法だった。生の哲学や神秘説やは、機械論の角を矯めるために、論理の牛を殺して了ったものだが、機械論の方は依然生き残っているわけである。