후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
ある。
だが、インテリゲンチャがこの二つのどっちかの階級に対して、直接に同伴するにしても、又は終局に於て寄与するにしても、それは大森氏が想定しているらしいようにインテリゲンチャが単に中間層として、賛成議員の頭数のように、どっちにつくか、といった問題に止まっていることは出来ないのだ。プロレタリアの政治的活動に対して、せめて好意ある中立を保てと云ったような勧告は、インテリゲンチャを単に一般的に一種の中間層としてしか見ない(インテリ階級説)必然的な結果であって、そう考える限りインテリの積極性や能動性などは、本当の意味ではなり立たないのが当然だし、もし仮りになり立ったとしたら邪魔になって反動的な意義しか持たない、ということになるのは必然なのだ。つまりインテリは、それがインテリだという特質に就いて云えば、別にその故には積極的な独自性を認められないことになるわけで、従ってその意味では全く消極的なものにしかならないわけである。
処が大森氏がどう強弁しようとも、今日のインテリゲンチャ問題は、こうした一般論、輪郭論に止まっていないのである。マルクス主義がその退潮にも拘らず却って具体化され地につき或いは大衆的日常常識にまで主体化されるのに平行して、インテリ問題も亦インテリ自身によって(尤も、だからと云ってインテリの立場だけ