후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
唯物論とか本格的なリアリズム(名前は何でもいいが社会主義リアリズムなどが夫だ)とかは、この主体化の大規模な方法を提供するのである。人間学などがこれに反して、どういう主体化の方法を提供するか、拝見したいものである。
芸術に於ける思想の主体化によって、思想は初めて終局的に感覚化され具体化され活きた形態を与えられる。それによって芸術は芸術家の生活そのものの課題となり「自分の問題」となる。併し前に云ったように芸術家の生活とは社会人として芸術家の生活以外にあってはならないのだが。社会人としての芸術家の生活に於て初めて、道徳(モラル)というものが意味を受け取る。社会を遍歴しない安っぽいただの自己にとっては、モラルなどは沐猴にして冠するものだろう。モラルは客観的な歴史的社会を遍歴して自己に還るモーラリティーのこと以外にはないので、この気取ったフランス語に誤られてはならぬ。
でつまり芸術に於ける唯物論的方法は、客観的な思想を主体的な道徳にまで、日常化すことだ。そこに主体の問題の最後のものが存する。事物の「必然性」からどうして「道徳」が導かれ得るかなどと云って唯物論を攻撃したと思っている人は、唯物論文学に於けるこの主体の問題が示している一群の事実を注目すべきだろう。