일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

処が実際映画に現われる動作は決してこんな単純な意味を持っただけの動作ではないのである。映画の面白さを決定するもう一つの大事な要素は、夫が現実の世界を可なり忠実に写し出せるという特権にある。芝居のように抽象的な背景で動作の行動半径の小さな処で、限られた動作だけを抽象的に選択してやるのではないから、映画は特有な当然らしい真実感を与えることが出来る。所謂実写に限らず、現在の吾々が現に眼に見ている現実の社会条件が、そのままスクリーンに現われる。旧劇芝居のような密封した別世界ではなくて、自然的にも社会的にも歴史的にも、映画館の外と殆んど少しも変らない世界の内で、空想的効果を挙げる事の出来るというのが、映画の感覚的な面白さの重大点である。

この間銀座で「モロッコ」を初めて見たが(今頃初めて見たのかと軽蔑する勿れ)、外へ出ると映画館前に停ったバスの中からディートリヒそっくりの女が続々現われるのに私は却ってビックリして了った位いである。吾々級以上の映画ファンがなぜ旧劇物よりも現代の物を好むかはこれで判ると思うが、それならば、外国物よりも日本物の方が良さそうな筈ではないかというかも知れないが、併し遺憾ながら日本物は映画に折角大事な動作(モーション)が発達しておらず、それに外国の背景が出て来ると動作の行動半径が拡大された