후리가나로 읽는 일본 고전
ja-reading.com
후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.
しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
「僕は何よりも先ず自分の意識を大事にして来た男だから、今それが手がつけられない程無秩序な有様になっている事をよく知っている。その有害無益な複雑さも、非生産的な精巧さも、逆説的な欺瞞も、詐術もその陶酔も幻滅も眼のとどく限り知悉している。」が「少なくとも私などは丁度物事を不必要に複雑化して眺めたい様な年頃にあるのではないかとは自分で思っている」(之は一九三三年の文章である――戸坂)。だが彼は近頃よく考えるそうである、「今迄自分の書いたものから、誇張というものを除き去ったら、一体何が残るか」と。おしゃべりと逆説とを除いたら何が残るかというのである。小林秀雄はなくなるかも知れぬ、併し小林が世界征服をした世界は、彼による征服如何に関係なく残るだろうから、吾々は心配しなくてもいい。
併しこうした告白一般が元来パラドックシカルなものなので、真剣の証拠にもなれば真剣でないことの証拠にもなることが出来る。小林はこの処非常に人間学的なレトリックを心得ている。だが彼が真剣であってもなくても、とに角彼の評論には徹頭徹尾自己弁解(小林ではないが――自己批判という字を使っているが「わざわざ別な云い方をする必要は何処にもない」