일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

社会常識はつまり社会にノルマルに通用する又はすべき道徳に接近していることが事実だ。社会常識だけが例の第二常識の唯一の例ではないけれども、併し少なくともここから第二常識は云わば道徳的常識だと云っても、強ち無理ではないだろう。もしそう云っていいなら、例の第一常識の方は理論的常識とでも云うべきものだったのだ。

処でここに問題の一つの発展がある。文学者は恰もこうした道徳的常識をこそ常識と呼ぶのであり、之をそのまま受け容れようとはしない処に、文学(又一般に芸術)の真理があるのだ、と考えられているからである。つまり道徳的常識なるものは、実は常識的道徳、常識的モラルに過ぎぬではないか、というのである。だから実際又、道徳的に強力な文学は、常識的だということにも、なり勝ちなのである。

だがここに私は一つの疑問を持っているのである。実はその故に、初め例の平均値的な理論的常識と、健全性に立つ道徳的常識とを対比させて、之でもって、常識論争の食い違いの分解の糸口にしようと、敢えてしたわけだ。今も云った通り、本当は、文学が軽蔑する常識は、決して例の第一常識(理論的常識)ではなくて、第二の道徳的常識だったのだが、併し文学者の常識軽蔑論の中には、ひそかにこの第一常識の軽蔑という、それ自身極めて通俗的(?)なモチーフが潜入していると考える