일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

だが之では活動的な実際家が俗物で、之に反して行動上のなまけ者が超俗物だということになる。少なくとも同じ行動をするにしてもリアリスティックな人が俗物で、どこかの点で非リアリスティックな(それが往々「文学的」と云うことらしいのだが)人間が超俗物だということになる。之は全く変な区別ではないだろうか。

元来フィリスティンというものは、信念の独自性と新鮮味を欠いた者のことで、之は一見、人間的良心に関する道徳上の区別を意味するようであるが、併しこの区別には一定の歴史的乃至階級的な根柢があったのである。だから民間的、坊間的なものや、庶民的、市民的なものや、更に又無産者的なものが、貴族的、僧侶的、宮廷的なものや、更に又ブルジョア的なものに対して、俗物的と考えられた。神聖な特権聖域外に横たわるものが俗物的なものとなる。アカデミックなビルドゥンクやシュールンクのない素人(之はドイツでの例だからドイツ語のままにしておくが)や、ボヘミヤンでない人物が、俗物と考えられるのは、こうした階級的根拠に基く俗物性から発生する亜種又は変種としてであるからに他ならない。

でこう考えるなら、文学者の方が政治家より以上に支配的な階級にぞくするとは云われない限りは、政治家の方が文学者に対して俗物的だとは云えなくなる筈である。