일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

ja-reading.com

후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.

しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

その意味から云って一切の批評は(そして一切の批評の価値はそれの社会的機能にあるのだが)、時評でなくてはならぬ。時評と云うと新聞や雑誌に載る月旦のことで、哲学的に問題にならない下等なものだと考えて見せる向も多いようだが、それは却ってその人間が如何に現在の「ジャーナリズム」になずんでいるかを告白するものだ。広義の時評以外に批評はない、もしあるように見えるなら、それは批評ではなくて批評主義という一つの「解釈の形而上学」のことでしかあるまい。

私はひそかに思うのだが、今日まだ批評というものに関する哲学的分析が、実は殆んどないのではないだろうか。之は哲学を一種特定の意味での(尤もそれには可なり面倒な条件が付くが)批評だと考えている私にとっては、驚くべきことだ。だがそれも尤もで、日常性というものが殆んど少しも哲学的に反省されていない所に、批評というものが真面目に問題になれる筈はないだろう。

以上のようなものが、なぜ私が超日常的俗物を軽蔑する必要を科学上持っているか、ということの一斑である。――独り文芸時評や論壇時評に限らず、一般に時評が、特に又社会時評そのものさえが、哲学であり乃至文学であると云えるのである。