후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
啓蒙と云えば、すでに今では過ぎ去り踏み越えられた啓蒙期の所産で、その時期にだけ相応しかった観念だ、というようなやや高級な常識が、暗に世間の学問のある人達の一部を支配していはしないかと思う。
或いは本当を云うと、一般に啓蒙なるものがクダラヌものだから、この根本観念を産んだ時期である啓蒙期も亦、大した真理のあった時代ではない、という推論によっているのかも知れない。がとに角ドイツ風の「文化」という先入観念に支配されている一部の歴史哲学派や文化哲学派、生の哲学派達などは、啓蒙期という文明や進歩の観念に魅入られた時代が浅墓な時代だったと考える処から、その時代の合言葉である啓蒙なるものも亦一般に、クダラヌものだという帰結に到達しているのではないかと思う。
そこで啓蒙というものに対して前に述べたごく平俗な常識による軽蔑の他に、今ここに第二に、もう少し高級な常識による軽蔑が現われて来るわけである。――併しこの高級な哲学者らしい常識も、丁度ブルジョア観念哲学の大部分のものが専門の形をとった俗悪さに過ぎないと同じ意味で、依然として平板卑俗なものであることを免れない。