일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

ja-reading.com

후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.

しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

この批評=批判という根本的な機能に於て、ジャーナリズムが哲学と落ち合うという点は、今まで述べて来たジャーナリズムの哲学的な諸特色から、すでに尤もに見えるだろうと思う。

が、最後に一つの点を注意しておかなくてはならぬ。哲学とジャーナリズムとが批評=批判=評論という機能に於て相合い、交叉すると云っても、両者の場合、夫々この批評=批判=評論というものの意味が違っているのではないか、という疑問があるかも知れない。なる程ジャーナリズムに於ける批評は時事的批評(時評)であり、之に反して哲学の批評は原理的な批評であるようだ。だが、時事的なもの、即ち日常的・実際的なものと、原理的なものとの関係は、すでに述べた処である。時事的なものを離れて、即ち日常性の原理を離れて、之に対立する原理というような形而上学的原理は、哲学的に云って成り立たない。そういう原理に立てこもるのは単に今日のブルジョア解釈哲学の無意味にしか過ぎない。一体時事的批評=時評を措いて批評なるものはなり立たない。時事的なものに就いて適当に近い将来に於て、それが歴史的に、どう展開するかということを一義的に予見することが時事的批評の役目なのだが、科学性というものが亦正にこの予見に他ならぬ。