후리가나로 읽는 일본 고전
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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면
なくなったりする。「表象する」などという学術語を使うために、「考える」とか「思う」とかいう極めて切実な日常的真実は哲学の外へ追放されたりして了うというような次第である。
哲学に於ける術語は、日常語から、或る歴史的な必要によって(哲学者の工夫を意味する限りでは人工的と云ってもいいが)、選択され淘汰され陶冶されたものに他ならない。それは極めて精細に而も眼界広く精練された常識語以外の何ものでもないのである。ただ日常語はこの常識語を極めて常識的に無責任に利き目を計量しないで凡庸に習慣的に濫用するだけであって、この同じ常識語を一言も忽せにしないように使えば、それがおのずから立派に哲学的術語となるのである。なぜなら本当はどんな常識語でも、普通の感光板では判らぬにしても、云わば赤外線写真の感光板にあてて見れば、チャンと一定した夫々にユニックな意味表象を持っているからだ。術語であるかないかは言葉自身にあるのではなくその使い方にあるのである。文学者の或る者はその意味では哲学の先生達よりも遙かに哲学的術語に精通していると云っていいかも知れない。ただ文学者は、その術語を、単に気の利いた使い方をするだけで、組織立てて体系化して用いる者が少ないから、彼は遂に哲学者にならないのである。