일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

戸坂 潤의 思想としての文学(しそうとしてのぶんがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 209,809자 · 408화면

아오조라 문고

だ。エッセイに新聞雑誌的なペリオディカル・エッセイもあれば、論説めいたクリティカル・エッセイもある(ただの理論にエッセイという名をつけたのは論外とする)。単に抒情的小品だけがエッセイではなくて、評論も亦エッセイの大きな領域だと云わねばならぬ。

エッセイが抒情的小品だと考えられるのは、夫が夫だけ身辺的なものに近づいた場合のことであり、即ちそれだけ所謂「随筆」に近づいた時の現象に過ぎない。所謂随筆に於ける身辺的なものがその身辺の自我や「私」を次第に大きなスケールの客観的事象の内に見出すようになれば、夫は愈々エッセイにまで発達するのであり、そしてやがてこのエッセイは評論(クリティシズム)にまで発達するのである。

こう考えて初めて随筆――エッセイ――クリティシズムは一貫した連関の下に考えられる。随筆(即ちエッセイ)が盛んだということは、極端にいうと、評論が今日盛んだということと同じ系統の現象だったのである。随筆は一面雑文雑筆とも考えられているが、アディソンやスティールによる「スペクテーター」などに於けるエッセイ乃至クリティシズムを見ると、全く時事的で雑報的なものとも思われる。