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このにぎりめし

この握りめし

岸田 国士

「日光 第三巻第一号」1950(昭和25)年1月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,649 字 · 27 页

青空文庫

それに、一ヶ月もいて、一度も宿賃のことを口に出さないなんて、千万長者にも珍しいと思つたからさ」

「で、今までで、どれくらい溜つてるね」

「昨夜計算してみたら、宿泊料だけで一万九千六百なにがしさ。酒代はむろん別、そのほかに、新聞、煙草、甘いもの、薬代、なにやかやの立替が三千いくら、入浴科は特別に只にしてある、めつたに風呂はへえらない様子だから……」

「弱つたな。すると、なにかね、信濃屋さんは最後の手段として、警察へ訴え出たつてわけだね」

「まあ、そういうわけになるかも知れねえが、その前に、増田さん、表向きに引つ張るなんてことでなくさ、あんたから、忠告みたいに、なんとか一言、言つてみてくれないかね。わしはもう手を焼いちまつたよ。よつぽど横つ面ぶん撲つてやろうかと思つたよ」

「いや、なんなら、引つ張つてもいゝがね、そいつは横つ面ぶん撲るのと、結果はおんなじだろうな。信濃屋さんのお望みとあれば、わしが出てもいゝが、なんでも話をつけるのは信濃屋さんのお手のものだとばかり思つとつたが……」

「ひとの話ならつけ易いつてことがわかつたよ。だが、たいていの奴なら、わしの凄文句で顫えあがるんだが、この貧乏絵かきばかりは、歯が立たねえんだから、あきれるよ」