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やぶからし

やぶからし

山本 周五郎

「週刊朝日増刊」朝日新聞社、1959(昭和34)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,476 字 · 44 页

青空文庫

そうしているうちに涙がこぼれてきた。悲しいとも、なさけないとも思わなかった。どんな感情もなしに、ただ涙がこぼれるのであった。まもなく、あの方は角樽を持って戻り、汁椀へ酒を注いで飲み始めた。また裸にされるものと思っていたし、そのときはこうと決心していたのだが、あの方は夜具の脇にあぐらをかいて坐り、まるでなにかに追われてでもいるような、せかせかした調子で飲み続けた。

「おれは生れ変ってみせる」とあの方は独り言のように云った、「おまえが妻になってくれればできる、私は弱い人間だ、私には支えになるものが必要なんだ、これで大丈夫、おまえが妻になってくれたことで、私はりっぱに立ち直ってみせるよ」

角樽がからになるまえに、あの方は正体もなく酔い、夜具へのめりかかって寝てしまった。

わたくしは夜の明けるまで、寝衣のまま畳の上に坐っていた。あの方に夜具を掛けてあげるときと、いちど手洗いに立ったほかは、坐った場所から少しも動かなかった。そのあいだなにを考えていたことだろう。いまでもかすかにおぼえているのは、あの方のどす黒い色をした胸、ひとかたまり毛の生えた、肋骨の段のあらわれた胸を、けんめいになって記憶から消し去ろうとしていたこと、もう一つは「死んでしまおう」